のぼりには、多くの人の誇りと希望が詰まっていた
のぼり旗で思い出す歴史上の人物と聞いて、真っ先に思い出すのは武田信玄です。
甲斐を中心に活躍し、武と知に優れた信玄を象徴するかのような風林火山の旗は、歴史マニアでなくとも誰しもが知る所ではないかと思います。
もちろん、武田信玄だけでなく、戦国時代に於いてのぼりはその諸大名を表すシンボルとして、とても重要な役割を果たしていました。
例えば信玄のライバル、上杉謙信の毘沙門天の旗印などもそれに当たります。
旗印を見て、戦意が高揚したり、逆に失ったりと、ただ棒に付いた布一枚、それに何とも大きな意味がありました。
こう書きますと、日本独自の文化のようにも見えますが、形状に違いこそあれ、のぼりの文化は世界共通です。
お隣の中国では、三国志よりも前の時代から使われていましたし、遠くヨーロッパでも、古くから諸国で使われていました。
さて、その当時、のぼりには多くの人の誇りと希望が詰まっていた事は想像に難くありません。
国を思う気持ちでは、現代人は到底昔の人には敵いませんが、いずれにしても、共通するのは強力な自己顕示です。
今現在、そういった力あるメッセージは見受けられませんが、それは逆に、過去に比べると平和な世の中、という事の裏返しなのかもしれません。
戦国武将それぞれの個性が出ていたのぼり
のぼりで思い出す歴史上の人物と言うと、時代劇で沢山見かける戦国武将が多いです。
一番有名で誰もが思い浮かぶのが武田信玄の風林火山と書かれているのぼりか、徳川家康の葵の御紋ではないでしょうか。
実際に持っていた旗はカラーリングなどが異なるのかもしれませんが時代劇で見かける武田信玄のものは赤地に金色で風林火山と書かれているものが多く色が少ない時代で風景や甲冑などが黒など暗い色なのでとても目立ちます。
また目立つ点で言えば、真田幸村の持っていた赤地に金色の六文銭ののぼりも、遠くから見ても目立つものなので印象が強いです。
戦国時代では戦に負けた後に引き上げる時にいかに目立たないように引き上げるかが重要だったそうです。
戦国時代は現代のように派手な色が沢山あるわけではないので、のぼりに赤い色を使ったりしなければ、それほど目立つことがなく退散出来ると思います。
そんな中で赤を使ったものを持って戦に挑むというのは戦いに対しての自信ややる気を持っていることを部下に示し鼓舞するためのものだったのかなと感じます。
戦国時代の武将たちの持っていたのぼりは一目見て誰のものか分かる特徴があり、それぞれの個性が出ていたのが素敵だと思います。
徳川家康ののぼりには、「厭離穢土・欣求浄土」
幟で思い出す歴史上の人物はたくさんいます。
織田信長、武田信玄、上杉謙信、徳川家康。
織田信長といえば、天下布武。
これには深い意味があると言われています。
自分が天下統一をすることで争いのない平和な世の中を作り上げるという意味があったとも言われています。
自分の政策でもあったわけです。
そして武田信玄。
有名な風林火山。
実はこののぼりが現存をしているんだそうです。
山梨県甲府市にある武田神社に展示されているのです。
武田信玄と言ったら風林火山と言っても過言ではないと思います。
上杉謙信は、自らを毘沙門天の生まれ変わりだと称していたそうです。
ですから、のぼりにも毘沙門天の毘の字を掲げていました。
一文字っていうのもインパクトがありますし、遠くからでも分かりやすいものだったのではないかなと思います。
徳川家康は「厭離穢土・欣求浄土」という文字を入れていました。
それぞれみんな意味があり、また家紋をいれたのぼりを掲揚するということもありました。
それが敵味方の目印にもなっていたのだと思います。
伊達政宗だって、加賀の前田家だって、戦国武将であれば、みんな信念を持って戦地に向かっていたのであろうと思います。