『風林火山』と言う四文字をのぼりに掲げて戦った武田信玄

のぼりで思い出す歴史上の人物と言えば、私は戦国時代の武将を思い出します。

もちろん、それよりも以前から使用されてはいたと思いますが、盛んに使用され始めたのはちょうどこの時代からだったのではないかと思います。

戦国時代の武将の中でも特に甲斐の武将、武田信玄は特に顕著です。

いわゆる『風林火山』と言う四文字をに掲げて戦ったと言うのは現在でも多くの人に周知されている事です。

もちろん、自分達の士気を高める為に掲げたと言うのもあると思いますが、それだけではありません。

戦いに勝つ為の1つの重要な方法でもあったのです。

この時代の多くの武士は同じような武装をして戦っていました。

もちろん、何かしらの目印と言うものは見に付けていたとは思いますが、戦いとなるとそこまで細かく見てはいられません。

となると、相手が自分の敵なのか味方なのか区別が付きにくくなるのです。

そこで目印に幟が重要になります。 

背中に掲げておく事によって、どちらの陣営なのかが一目瞭然になる訳です。

その為、背中に掲げても身動きが取れるコンパクトなのぼりと言うのもこの時代にはあったようです。

武田信玄と言う武将の強さはもしかするとこのように数々の緻密な戦い方の積み重ねで多くの勝利を勝ち取っていったのかも知れません。

武田信玄の真っ直ぐな性格は、のぼりの文言からも伝わってくる

のぼりで思い出す歴史上の人物と言えば、風林火山の武田信玄です。

疾きこと風の如く/徐かなること林の如く/侵掠すること火の如く/動かざること山の如くという文言が有名ですが、この言葉には知り難きこと陰の如く/動くこと雷の震うが如しと言う続きがあることはあまり知られていないようです。

武田信玄は永遠のライバルと言うべき上杉謙信と共に、現代でも非常に人気の高い人物です。

織田信長のような虐殺などの非情な話も無く、民を慈しむ高潔の人であったようです。

民の尊敬を集めたこの勇者がオリジナルのぼり旗を立てて戦に出るときは、領民皆が無事を祈ったに違いありません。

武田信玄は実の父親を追放し家督を継いだ人物です。

この父信虎は、非情に残酷で乱暴な性格をしていたようで、領民が苦しめられるのをもうこれ以上見ていることが出来ないと信玄は追放を決意しました。

そんな父を見て育ったからこそ、信玄は領民にとってとても良い領主となったのだと思います。 

その真っ直ぐな性格はのぼりの文言からも伝わってくるようです。

ライバルである上杉謙信との川中島の戦いは通算5回に上ったと言われています。

5回も戦って決着が付かなかったということは、実力が伯仲していたとも考えられますが、卑怯な手を使わず真正面から戦ったからではないかと私は考えます。

戦場にそよぐお互いののぼりを見ながら、お互いへの畏怖の気持ちと尊敬の念を高めていったに違いありません。

のぼりと、後世にたくさん残った家紋

のぼりで思い出す歴史上の人物というと、けっこう大河ドラマとかで有名になった武将などが思い浮かびまして、戦国時代などはかなりドラマティックな人生を送った武将がたくさんいましたから、彼らはその家紋を後世にたくさん残しているのです。

武将は特に自分の家紋をのぼりに染め抜いて戦場を駆け回っていたということがありますから、こういったものはいわば武将自身のトレードマークということがあり、かなりメジャーな存在だったということが知られているのです。

実際にいろいろなところでこういったマークを見るということがありますし、だからこそよく知られた家紋ということがいえるのです。

時代が下ってくると、商人たちがこういったのぼりを自分たちのお店の目印や宣伝として利用するようになりました。 

この使い方は武将たちの使い方と平行して行われていたようでして、案外商人のほうが先に使い始めたものだったのかもしれません。

実際にこういったものを身近なところで見る機会はけっこう多く、スーパーとかラーメン屋さんとかで色鮮やかなのぼりを見かけるということがありまして、そういったものを見ておくことによってやるべきことの優先順位が決まるということもあるといわれているのです。